▼所在地:尼崎市常光寺常光寺4‐3‐1
『杜の聲』第5号(平成26年10月吉日発行)
「地域の企業紹介 第1回」掲載(一部加筆訂正)
平成24年10月、王子製紙株式会社の持株会社制移行・会社分割に伴い、王子製紙株式会社イメージングメディア事業本部が分社化し発足。
紙感熱紙、フィルム感熱紙、インクジェット用紙などの製品を取扱っており、国内のみならず、アメリカ、ドイツ、タイ、ブラジルにも子会社を有しており、情報用紙の分野において世界でも確固たるシェアを有している。
この神崎工場の起源は明治27年に設立された真島製紙所である。神崎川の豊かな水量に目がつけられた。大阪製紙株式会社、野田製紙所を経て、大正4年に、当時の大手製紙会社富士製紙株式会社に買収され、同社神崎工場となった。昭和8年、富士製紙は旧王子製紙と合併した。
昭和20年6月15日、神崎工場は空襲(大阪大空襲)に遭い、事務所などのごく一部の施設を除いて焼失、工場としての機能を喪失した。まもなく終戦となるが、工場復旧の妨げとなったのが、旧王子製紙が財閥解体の対象になったことである。実際に昭和24年旧王子製紙は過度経済力集中排除法により解体されるが、そこに至る流れの中では王子による神崎工場の再建は困難であるとみられた。神崎工場の復旧は、旧王子製紙より分離するという条件で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が許可したため、条件に沿って昭和23年9月、受け皿となる新会社・神崎製紙株式会社が設立された。神崎製紙は旧王子製紙から神崎工場を買収し、生産規模は順次拡大される。
平成5年1月、神崎製紙と王子製紙株式会社は合併を発表した。バブル景気とその崩壊により設備過剰・需要低迷・価格下落を招いた紙パルプ業界は業績が著しく悪化し、その一方で国際競争激化などの要因が背景にある。合併によって企業体質の強化、設備投資の合理化を狙った。
平成5年10月1日付で王子製紙が存続会社となって社名変更、神崎製紙が解散する形で両社は合併し、新王子製紙株式会社が発足した。同年4月に発足した日本製紙(十條製紙・山陽国策パルプの合併)に続く業界再編で、売上高ベースで新王子製紙は日本製紙に次ぐ業界第2位の製紙会社となった。
その後、平成8年10月1日には新王子製紙と本州製紙が合併し、王子製紙株式会社となり、平成24年、王子製紙株式会社の持株会社制移行・会社分割に伴い、王子イメージングメディア株式会社となる。
工場敷地内には王子八幡神社があり、社宅自治会や近隣の崇敬を集める。また、皇大神社の境内にある稲荷社の社殿は、神崎製紙時代、工場の守り神である稲荷社改築の際に旧社殿を寄進・移築されたものである。
工場横の一帯は社宅マンションが立ち並び、古くより、常光寺地区(旧小田村)の発展に貢献してきた。